DAIFUKU’s diary

daifukuの思考整理のための日記

3本目の親知らず抜歯完了報告

今日は左下の親知らずを抜いてきた、厳密には先週抜いたのだけど、抜糸を完了した今日この日をもって完全に抜歯できた、という実感があるのでそう書いた。

 

下の歯の生え方は少し斜めっていたので抜糸前は怖くて怖くて仕方なかったし、抜歯前に正直に怖いですと伝えたら「そんなこと言われたら私だって怖くなっちゃいますよ」と歯医者さん、しかし確かな腕前で親切丁寧に処置してくれた。

 

もちろんまったく痛くなかったかと言うと嘘になるけれど、終わってみれば案外なんてことはない。食事も1週間は顎の片側でしかできなかったけれどもう解放される、虫歯のリスクも減って清々しい気分だ。

 

通常抜歯したら2週間後には次の歯も抜けるらしいけれど、年末に抜いて何かあったら怖いので年明けにもう1本引っこ抜く予定である。

ひとまず年末にレントゲンだけとる。

 

そういえば抜歯した後に抜けた歯を眺めていたら、「持って帰りますか?」と聞かれたけれどなんだか生々しくて持って帰らなかった。

目の見えない人と絵画を鑑賞した話

今日は、目の見えない人と絵画を鑑賞してきた。

きっと初耳の人は「こいつは何を言っているんだ?」と思うかもしれないので、経緯含め、一体全体どういうことなのか説明しておく。

 

まず、私がこのイベントに興味を持ったのは、今年の11月ごろに読んだ『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』というノンフィクション本を読んだことがきっかけだ。

 

本の概要をざっくり説明すると、美術鑑賞好きの著者が友人の誘いで全盲の白鳥さんと一緒に美術館へ行き、言語化を通じて目の見えない人との絵画を見ていたら、今まで見えていなかったものに気づき、「見る」とはどういうことなのか考えさせられる、といった内容だ(映画化もされるそうなので絶対に見に行こうと思っている)。

 

この本を読んで目が見えない人の記憶力やら想像力ってすごいなと感動したし、その生活を垣間見て、なんだかとても親近感が湧いた。

そして、私もぜひ彼らと話してみたい、絵画鑑賞してみたいと思った。

 

幸いにも私がこの本を手に取った図書館でも同様の試みを考えていたらしく、図書館とボランティア団体の共催で地域にお住まいの全盲の方と絵画を鑑賞する機会を得ることができた(しかも複製絵画だからか無料)。

 

絵画鑑賞の基本ルールはだいたいこんな感じだった。

 

・作品のタイトル、説明文を見ずに鑑賞する(詳しい人は一旦忘れる)。

・最初は晴眼者(見える人)が何が見えるか説明して目の見えない人とイメージを共有する。

・間違いなど気にせず、否定もせずに自由に思ったことを発言しあう。

・目の見えない人の発言のタイミングを作るためにあまり長く発言しすぎない(でも遠慮しすぎない)。

・最後にタイトルを予想して、実際のタイトルの確認。

 

上記のルールで2作品をそれぞれ30分かけて鑑賞した。

 

で、やってみてわかったけれど、これ、すごく面白い。

今回複数人でグループを組んで鑑賞したのだけど、人によって着眼点や感じ方が違ったり、1人では絶対に気づけなかったはずの描かれているものに気づけたりと、たくさん発見があって会話が弾んだ。

目の見えない人も見える人に「こういうこと?」と確認して最終的にストーリーを構成してみたり、そのストーリーを聞いてから見える人が絵を見るとまた印象が変わったり。

かつて絵画好きの友人と絵画を鑑賞しに行ったときは正直あまり絵に明るくなかったし、どう楽しんだらいいものかわからず、不完全燃焼で終わった感じがあったけど、今回の絵画鑑賞でわからないなりにわからないのを楽しむ方法を見つけることができたような気もする。

 

今回の目の見えない人は最初から見えなかったわけではなく中途だったとは言え、伝えようと言語化するのは難しい部分もあった。

けれど、お互いにコミュニケーションを取る中で理解し合う喜び?のようなものも感じて、また次回も機会さえあれば参加しようと思った。

 

というか、美術鑑賞、趣味にしようかな、、、。